速水御舟

kokuzo2016-10-16


先日、山種美術館速水御舟を観てきました。以前は日本画にほとんど興味を持っていなかったのですが、ちょっと前から西洋画よりも日本画の方がはるかに魅力的で面白くなってきました。ですので、日本画を観る機会をたくさん持つようになったのは最近のことで、速水御舟の作品を実際に観るのは初めてです。まあ、速水御舟という名前を知ったのだって、数年前ですから。知っている作品は、重要文化財に指定されている炎に蛾が群れ飛んでいる「炎舞」くらいしかなく、それが観たくて出掛けて行ったようなものです。ただし、「炎舞」には?マーク付きでしたが。
展示は10代から亡くなる40歳までの作品がほぼ年代順に並べられており、とても興味深かったですね。特に若い時、10代の頃の作品がすごいのですよ。とにかく上手い。17歳の時に描いた「瘤取之巻」などは完璧なんですよ。子供の時に自宅の襖に描いた襖絵の素晴らしさを見て、画塾からスカウトされたというからその技術の高さは驚異的です。色々な手法を駆使して様々な様式で描くことができるのです。ただし、そのまま順風満帆とはいかなかったのですね。そのまま絵師としてすごせていたらもっとすごかったかもと思ったりもしました。
時代がそれを許さなかったのですね。西洋画が流行し、職人としての絵師から芸術家としての画家に変わっていく、まさにそういった時代の不幸だと思うのです。
もちろん素晴らしい作品がたくさんあります。「向日葵」「木蓮」「墨竹図」、それらはすべて素晴らしい技術で描かれたものですが、技を超えた魅力を備えています。その魅力を生み出しているのは言うまでもなく技術です。もっぱら画風を追求したような作品はあまり魅力的ではなかったですね。そういったものを追求したのが近代なのだろうが、今考えると、頭でっかちで貧しい時代のように感じてしまいます。
最近、超絶技巧などといわれて技が再び評価されるようになってきました。それ自体は喜ばしいことなのだけれど、これ見よがしの技巧というのもどんなものだろうか。技術はあくまでも技術であった、それ自体が最終目標になってしまったようなものにはあまり魅力を感じないなあ。
この展覧会でその他にもいろいろ感じることがありました。まず、速水御舟は植物はものすごく上手いが動物はそれほどでもないこと。とにかく生きて動いていない。魚の絵がふたつあったのですが、ひとつは沙魚(ハゼ)なのでいいが、もうひとつは泳いでる二匹の魚で、こちらはどうもいただけない。御舟の弱点を見た気がしました。そのほかの動物たちもどうもね。展示の最後の方に、死んだ鳥を解剖学的に精緻に描い巻物の画帳が出ていたのですが、これは見事に死んでいました。
重文の「炎舞」なのですが、やはり思っていた通りでした。輪舞している蛾がどうしても生きて飛んでいるいるように見えないのですね。そこにずっと引っかかっていたのですよ。標本の蛾みたいに見えるのですよ。炎は様式的に描かれています。ただし、炎から上がる熱せられた空気が渦を巻きながら上昇している様子を感じることはできました。動きを感じられる唯一の絵だったかもしれません。
もうひとつ重文があります。「名樹散椿」です。これもさほど感動しませんでした。ただし、金の背景が金泥でも金箔でもなく「撒きつぶし」という技法で描かれているのですが、これはすごい。輝きが違うのです。でも、それだけだな。
御舟は40歳で腸チフスにかかって若くして亡くなってしまいます。作品を観ていて、30歳前後がピークではないかと感じました。30代後半になるともう晩年という雰囲気が漂ってくるのですね。不思議です。その一方で、人の一生とはそういうものなのだなとも思いました。誰にでも晩年があり、そして死ぬ。それは年齢とは関係ないのだと。


御舟が天才だということは紛れもない事実です。