近代日本画
最近、日本画を観ることが多くなりました。昨年末から続けて山種美術館へ出掛けてきました。以前から日本画を観てはいるのですが、古いものが主で明治以降の作品はほとんど観てきませんでした。山種美術館には近代の日本画作品がたくさんあります。名前だけは知っていても、実際の作品を観たことのない作家たちの作品にたくさん触れることができました。
昨年暮れは山種美術館が所有している村上華岳の「裸婦図」が重要文化財に指定されたのを記念した、京都画壇の画家たちの作品を中心とした展示でした。ただし、私は村上華岳を観たかったわけではなく、竹内栖鳳の猫、「斑猫」を観るのが目的だったのですが。猫好きの私としては、「斑猫」に魅了されたのは言うまでもありません。上村松園の凄さにも接することができました。
今年初めの展示は伊藤若冲生誕300年記念として行われたもので若冲と大観が目玉となっていました。私は大観はどうでもよくて、若冲が観たかったのです。「群鶏図」が出ていました。若冲の「群鶏図」と言うと極彩色のものを思い浮かべますが、これは水墨です。ある意味、こっちの方がすごいかもしれないなあ。
この「群鶏図」を観ていてローマのサンタンジェロ橋の欄干に立っているベルニーニの天使像達を思い出してしまいました。サンタンジェロ橋の天使を見た時に覚えたある感覚と同じものを感じたのです。それは「動いているんじゃないか」という錯覚を引き起こすような感覚なのです。よく「動きの一瞬を切り取る」というような表現がよくされるのですが、それとは違うのです。動きの一瞬を切り取ってもそれは静止しているわけですから。水墨画というのは墨と筆だけで描くのですから、それだけである意味抽象化されているわけです。それが動いているように感じるのですから、凄いです。
今回は、若冲以外にも魅かれるものを見ることができました。河鍋暁斎には、鬼気迫るものを感じます。小林古径の青い「不尽」もすごかったです。奥村土牛の十二支の融通無碍というか、脱力したような表現もいいですね。そう言えば、次の展示は奥村土牛さんだ。もう始まっている!
古い日本画ではない、明治以降の近代の日本画に接して、このころの日本画の魅力を知ることができました。西洋画の影響を受けたり、それと対抗したり、新しい日本画を模索していた時代の緊張感や、エネルギーを感じるのです。面白いです。