デザインとは

先にアート(芸術)という概念について否定的に書きましたが、デザインについても書いてみたいと思います。デザインとは、語源をきちんと調べたわけではありませんが、字義的には、物を形あるものとして現実的に存在させることだと思います。聖書の天地創造につながります。神が何らかの意図を持って、物に形を与えることによって世界を創造する、これがデザインです。
ここで重要なことは、「何らかの意図を持って」形を与えるということです。単なる形の遊びではありません。形には意味があるのです。なぜそのような形になったのか、理由があるのです。
システムデザインというものもあります。システムとは物などの関係性のことで、物質的なものではありませんが、それを現実化するには、それを物質化しなければなりません。物質化していないシステムは、ただの図式にすぎません。
あらゆるところにデザインは存在します。デザイナーもたくさんいます。その中で私が究極のデザイナーだと思っているのは、F1マシンのデザイナーです。F1マシンのデザイナーのほとんどは空気力学の専門家です。すなわち、みなエンジニアなのです。デザインとは本来そういうものです。海外ではデザインを学ぶ学科の多くが、工学系の大学にあるのもこのような理由によります。我が国でも千葉大学の工学部に、工業デザイン科という学科がありました。今もあると思います。
私が建築を学び始めた頃、機能主義建築というのがまず打倒すべき相手でした。「形態は機能に従う」というカッコいいスローガンが掲げられていました。よいデザイン、すなわち機能的であることが求められました。デザインとは機能を形にすることでした。私たちは、デザインにそれ以上のことを求めたのです。
しかし今考えてみると、このスローガン自体は誤りではなかったと思います。当時は機能イコール機械というイメージが強かったのです。機能的イコール機械的というイメージです。機能という概念を狭く考えていました。
実は、機能というのはもっと広い概念なのだということに気がついたのです。例えば、美しいとか、楽しいとか、落着くとか、心地よいとか、こういうこともすべて機能なのです。究極として、機能的ではないことが機能だというものもあるのです。それを「遊び」と呼びます。


やはり「形態は機能に従う」のです。これがデザインです。


いまTVで内藤多仲(たちゅう)先生の東京タワーをやっています。多仲さん、懐かしい名前です。大学の構造の授業では、常にどこかに内藤先生の存在を感じていました。内藤先生は現在の耐震設計の祖です。耐震壁は内藤先生によって発案されました。構造家ということになっていますが、これこそ真のデザイナーです。