白井晟一・虎白庵

清家清さんの自邸について書きましたが、もうひとつ建築家の自邸について書かなければなりません。
先日、白井晟一さんの自邸「虎白庵」が取り壊されたという記事を読みました。もうすでに春先には取り壊されてしまい、3月に見学会があったようです。以前「虎白庵」がかなり痛んでいて、危機的状態にあるという記事は読んでいましたが、うっかりしていて、すでに取り壊されていたということは知りませんでした。
その記事を読んで、とても寂しい気持ちになりました。一度見たかった建物で、それを見ることができず残念でした。見学会の時の写真をネットで何枚か見ましたが、建物はかなり荒んだ様子でした。そのような状態の「虎白庵」は見たくありません。見学会には行かなくてよかったと思います。
白井晟一さんは特異な建築家です。ある意味で神話的な存在でもあります。一級建築士の制度ができたとき、すでに実績のある人は申請さえすれば一級建築士の資格を得ることができたのですが、それを拒否したという話などいろいろな逸話も残っています。
安藤忠雄さんと同じように、大学で建築を学んだわけではありません。京都大学の幽霊学生として、哲学の講義を聴講していたというのは有名な話です。その後、ドイツに留学し、本場でドイツ哲学を学んでいます。それが白井さんの基礎となっています。
日本に戻ってから、建築を始めています。石積みの重厚なヨーロッパの建築を目指したのでしょう。楕円が多用されます。ヨーロッパではバロックで楕円が多用されました。しかし、白井さんの建物はバロックではありません。様式で言えばもっと古いロマネスクと言ったらいいでしょうか。いや、その前のプリ・ロマネスクでしょうか。
ロマネスクの建物の特徴は石済みの厚い壁と闇です。白井さんもその闇に魅かれていたのではないでしょうか。多くの建築家が光を求めたのとは逆に、白井さんは闇を求めたと言えるかもしれません。闇が深いほど、光が際立つのです。谷崎潤一郎の「陰影礼賛」にもつながります。
白井さんの建築のもうひとつの特徴は、建物の細部へのこだわりにあります。西洋ではよく「神は細部に宿る」と言われます。神の姿を求めて細部にこだわり続けたのでしょうか。私にはむしろ、カント哲学の「物自体」に近づこうとする作業のように思われるのですが、どうでしょうか。
白井さんの建築というと、西洋風の建築が主のように思われますが、和の建物もあります。私はこの和の建物の方が好きです。京都で生まれ育った方だからでしょうか、すばらしい和の建物をつくっています。「虎白庵」も和の建物です。
残念ながら白井さんの和の建物を見たことはありませんが、西洋風の建物はいくつか見たことがあります。正直なところ、写真で見た時に感じたような感動はありませんでした。やはりどこかに無理があるのでしょうか。
私がイタリアへ行ったとき、そこは全く別の世界だという印象を持ちました。全く違うDNAが創りあげた世界という感覚でした。ですので、私にとってそれは求めてもしょうがない世界、目指してもしょうがない世界だったのです。しかし、白井さんはそこを求めたのでしょう。
私が学生の時、仲間と一緒に、京橋にあった親和銀行の東京支店を見学したことがあります。2階が特別なお客さとの接客スペースになっているのですが、それがとても変な空間なのです。なぜこんな空間なのか分かりませんでした。
私がフィレンツェに行ったとき、アルノ川の対岸の丘の上にいつもファサードに日を浴びている教会がありました。サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会という古い教会で、そこを訪れた時、地下からグレゴリオ聖歌が流れてきました。その合唱の方へ、地下へと下りてゆくと、そこに親和銀行東京支店の2階があったのです。2階へ行くと地下になるのです。この建物も今はありません。
建物には万人のために建てられた建物と、ただ一人のために建てられた建物とがあります。「虎白庵」は白井さんのために白井さん自身によって建てられた建物です。それは白井さんの精神を磨くための建物だったのでしょう。そこで白井さんは毎日書をしたためていたそうです。白井さんは書家としてもよく知られています。
主を失った「虎白庵」は、取り壊される以外になかったのです。
白井さんにきちんとお会いしたことはありません。唯一、わが師である吉坂隆正先生の大学葬が大隈講堂で行われた際、ちらっとお見かけしました。その時の白井さんは、静かで神々しいようなオーラに包まれていらっしゃいました。そこには昇華した人間の姿がありました。白井さんの最大の作品は、白井さん自身なのではないかと思います。