清家清・自邸

先日、TV番組で清家清さんの自邸についてやっていました。清家清さんを、ネスカフェの「違いが分かる」というCMでご記憶の方もいらっしゃると思います。私も数回お会いしたことがありますが、飄々とした感じで、いつも笑顔を絶やさず、ゆったりとしたオーラに包まれた方でした。
私より上の世代では、いわゆる「新建築問題」で、清家さんに良い感情を持っていない方も多いようです。「新建築問題」とは、建築雑誌の老舗である「新建築」の編集方針をめぐって、編集者と出版元が対立し、編集者が首になったという事件です。表現の自由などとの絡みで、大きな問題になったようです。
その時に、出版元側から担ぎ出されたのが清家さんで、清家さんもそれによってかなりのダメージを受けたようです。清家さんに近い人は、「清家さん自身に深い考えがあったわけではなく、人がいいので利用されただけだ」と言っていましたが、どうでしょうか。
清家さんの自邸は同じ敷地内に3棟あります。家族が増えるたびに数が増えていったそうです。その3棟のうち最初に建てられたものが有名な清家自邸です。若い時に建てたものですので、建築家の住宅に対する思いや、理想がストレートに表現されています。私たちが建築を学び始めた頃には、すでに教科書に載っているような有名な住宅でした。
これはエポック・メーキングな住宅なのです。ワンルームの住宅で、家の中にドアがひとつもありません。トイレもドア無しです。鉄平石を敷いた床面は、同じように鉄平石を敷いた庭の高さとほとんど変わりません。庭と室内の床が連続しています。玄関はありません。庭から靴のまま家の中に入ります。屋内の床には床暖房が仕掛けられています。
要するに、それまでの日本の住宅の常識をすべて覆してみせたわけです。しかし、これらは新しい住宅の姿を求める建築家の皆がやってみたかったことなのです。それを清家さんは自邸という形で実現したのです。
その一方で、日本建築の伝統も忘れてはいません。日本の古くからある「設い」(しつらい=室礼、舗設)という考え方です。簡単に言うと、使用目的に合わせて、その都度部屋を目的に合うように家具などでアレンジしてゆくことです。清家さんの自邸では、移動できる畳の床がその役目を担っています。畳というもの自体、本来そのようなものだったのです。
実は、ワンルームと「設い」という考え方とは密接な関係があります。ワンルームというのは、建築を志した者にとって、実現するしないにかかわらず、重要なテーマのひとつです。それは近代建築の宝である、ミース・ファン・デル・ローエ設計の「ファンズワース邸」というすばらしいワンルームがあるからです。建築を学ぶ者で、この建物に魅了されたことのない者はいないのではないでしょうか。
そのミースには、「less is more」という有名な言葉があります。それは、建築的な要素が少ないほど、空間的には豊かであるということです。その考えをもとに、ミースは「ユニバーサル・スペース」と名づけた、がらんどうの空間を提案しました。それを使用目的に合わせて設えることで、ひとつの空間が、いろいろに変化するわけです。
もうひとつ清家さんの自邸には特徴があります。それは子供部屋がないことです。実は地下室があり、そこが子供部屋として使われていたということです。もちろん、お子さんは不満だったようです。このことが次の自邸を脇に建てる理由のひとつになったようです。
子供部屋というのも住宅建築の大きなテーマのひとつです。最近は「頭のいい子を育てる家」というのが話題になっているようですが、それとはちょっと違います。子供はある時家族に加わり、しばらくたつと家から出て行く、そんな存在なわけです。
それに合わせて建物自体が大きくなったり小さくなったりするという考え方があります。菊竹清訓さんの、これも有名な自邸「スカイハウス」では、床下に取り外し可能な子供部屋のユニットをぶら下げました。この当時の清家さんの考え方は、それとは違い、そのような存在である子供のために特別な部屋を設ける必要はないというものだったようです。


この清家さんの自邸は、実際には生活しにくい部分がたくさんあったと思います。しかし、何かを求め、何かを得るためには、それに値するだけの何かを犠牲にしなければならないということなのです。