建築レゴ

建築教育(?)用レゴができたそうです。建築物の組み立て用に作られていて、いくつかの有名な建築作品が、サンプルとしてとりあげられているようです。
これは小学生くらいの子供に、建築に興味を持ってもらうにはいい教材だと思います。しかし、本格的に建築を学ぼうとする人にとってはどうなのだろう。私は役に立たないと思います。いや、もっと悪いかもしれないな。
それは、建築とは単にオブジェのような建物を造ることではなく、空間(スペース)や環境を造ることだからです。建築レゴでこのことに気がつくだろうか、それは疑問だな。
ただし、ひとつだけ可能性があります。それは、作ったいくつかの建築オブジェを並べて街並みのようなものを作ってみることです。いくつかの建築物のオブジェを並べると、そこに関係性が生まれ、空間が発生するからです。建築物のオブジェを作るのと、それを並べて街を作るのと、どちらを面白いと思って興味を持つか、この違いってかなり決定的なものがあると思うのですね。
実際に建築の設計をしている人で、空間を意識していない人ってかなり多いと思いますよ。それ以上に、施主が理解していないわけで。そうして、建物だけがどんどん作られて行くのです。


先日、建築家の槇文彦さんが新国立競技場のコンペについて、批判的なエッセイを書いておられました。http://www.jia.or.jp/resources/bulletins/000/034/0000034/file/bE2fOwgf.pdf
最優秀案となったハディド案など個々の提出案に対する批判ではなく、コンペそのものに対する批判です。確かに、このコンペは天から降って湧いたような感じで、唐突な印象でした。きっと、最初からコンペにする気などなかったのだと思いますね。コンペなんて面倒臭いものなどまっぴらだ。
それを安藤さんなどが頑張ってコンペにしたのではないでしょうか。このような施設の設計が国際的なコンペになるのは、世界では常識ですから。それに、政治的にはオリンピック誘致の問題もあり、世界にアピールする必要もあったでしょうから。
ですから、どうしてもやっつけ仕事のように思えてしまう。時間不足というか、時間をかけてきちんと検討されていない。このくらいのコンペならば、準備期間で一年以上必要でしょうし、提出期間も半年以上、審査期間も数ヶ月必要だと思います。当然、応募資格はもっとオープンであるべきですし。
どこかに労を惜しむというのか、苦労するのは嫌だというような臭いを感じてしまうのです。これではいいものはできないですね。
ところで、このようなパブリックな議論が、建築界では、以前はよくあったと思います。しかし、最近は少なくなったような気がします。今は、ほとんどが商売がらみの宣伝や自慢、あるいは個人的な話だったり。槇さんもあえて苦言を呈するというような感じで発言していますが、建築家の理性や良識を感じますね。たしか建築家って、以前はこういう人たちだったと思うのですが。