巨大建築論争に関して

最近このブログを訪れてくださる方のなかで、「巨大建築論争」で検索した結果としてここまでたどり着いた方が多いのに気がつきました。今なぜ「巨大建築論争」なのでしょうか。よくわからないのですが、それについてちょっと思うことがあります。
「巨大建築論争」は1970年代、私が大学を卒業した直後くらいに、神代雄一郎さんが「新建築」誌上に発表した「巨大建築に抗議する」という文章をめぐって、日本設計の池田さんや日建設計の林さんなどが反論したことから始まりました。池田さんや林さんの反論は正当なものだったような気がしますが、その後神代さんに対する批判が集中しました。
一年後くらいに神代さんが再び文章を出した時、東大の権威を笠に着た村松貞次郎が、神代さんに対して下品な誹謗中傷を行い、それに嫌気がさした神代さんは表舞台から身を引き、この論争もうやむやになってしまったというのが顛末です。
神代さんも林さんも亡くなりました。その林さんが、亡くなる直前に出された文章の中で超高層建築物に対する危うさを指摘されていらっしゃいました。池田さんは日本設計を退社後、茅葺屋根の民家に住んでいらっしゃいました。皮肉というか、何か感慨深いですね。


今になって振り返ってみると、「巨大建築論争」は我が国の建築界にとって一つの節目だったのではないかと思うのです。建築界というより建築家という存在に対してかな。
便宜上それ(巨大建築論争)以前、以後と書きますが、もちろん明確な区切りがあるわけではありません。一つの流れの中でのエポックという感じです。その流れ自体は必然的なものだったと思います。
それ以前の建築界の中心はとりあえず建築家でした。彼らにとっての建築家のイメージとはル・コルビュジェであり、フランク・ロイド・ライトでした。それを体現していたのが、いわゆるアトリエ系建築家だったわけです。これは今も変わっていないかもしれません。
ところがそれ以降、建築界の中心が個人の建築家から設計組織に変わったのだと思うのです。組織設計事務所、いわゆる総合設計事務所ですね。要するに、巨大建築とは個人の建築家には手に負えない、組織(チーム)でしか設計できないものだということなのです。
巨大建築では構造や設備など、ハードウェアが重要になってきます。デザイナーとしての建築家より、構造設計者や設備設計者といったエンジニアのほうが重要になってきたです。ですので構造・設備などのすべてに対応できる総合設計事務所でないとダメ、ということになるのです。
アトリエ系建築家が巨大建築の設計をしていることもありますが、だいたいの場合、建築家はデザイナーで、実際の設計は総合設計事務所がやっているのですよ。良心的な建築家は、設計者として、自分の名前の後に総合設計事務所の名前を出しています。
このような変化は、別のことも意味しているのです。それは経済成長期を体験し、建築の主要な関心がhumanityからeconomyに変わったということです。実は、神代さんが巨大建築に抗議したのはこのことなのです。それにもかかわらず、この問題がきちんと議論されなかったわけです。
本来、アトリエ系建築家たちは神代さんを擁護しなければいけなかったはずなのに、それをしなかった。それはなぜか。結局、アトリエ系建築家たちはきちんと社会と向き合っていなかったのですよ。向き合っていたとしても、自分勝手な向き合い方だったのです。ですので、社会の動きがきちんと見えていなかったのです。総合設計事務所の方がきちんと社会と向き合って来たと思います。それは今も同じですね。
だから3.11の後、「建築が変わらなければいけない」などと寝ぼけたことを言う建築家が出てくるのですよ。まあ、気がつくだけましか。